
リビングの棚を整理していると、「おなまえスタンプ」が出てきた。娘のフルネームがひらがなで彫られたもので、縦書き・横書きそれぞれ大・中・小の3サイズある。保育園に入ったときはおむつの1枚1枚に、お絵描きするようになるとクレヨンの1本1本に、小学校入学の折には教科書1冊1冊に、おなまえスタンプを押した日々がなつかしい。
スタンプされた名前には、いつもはっきりとした役目があった。保育園や小学校という大勢の子どもが集まる場所で、持ちものをなくさないため。「これはだれの?」となったときに、ちゃんと娘のもとへ戻ってくるため。おむつやクレヨンや教科書ひとつひとつにスタンプされた名前の向こうに、娘を育んでくれた環境を思い出して、ありがたさが込み上げる。
おなまえスタンプを眺めているうちに、食器棚に眠っている子ども箸のことも頭に浮かんだ。お箸を使いはじめたころ、親戚からいただいた名入れ箸だ。娘の名前が、ひらがなでしるされている。ずいぶん前にサイズアウトして、それから長いこと出番はないのだけど、「もうありがとうして(処分して)いいかな」と娘に尋ねると、愛着があるのか、毎回「置いておいて」とNOを出される。
おなじ「名前」でも、お箸にしるされたものは、おなまえスタンプとは少しちがう。おなまえスタンプは、「なくさないため、取り違えないため」のしるしだった。一方で、家の食卓で使うお箸は、だれのお箸かは名前がなくてもわかる。あらためて考えると、お箸に入った名前は、娘への「あなたのために用意したよ」のしるしだったんじゃないかしら。
家族の食卓には、名前札などない。けれど、ひとりひとりにいつもの席があって、いつもの茶碗があって、いつものお箸がある。そこに娘の席ができ、茶碗が用意され、お箸が加わった。最初は、まだ二本をうまく動かせなくて、つかんだものを途中で落としたり、思うように口まで運べずにムッとしたりしていた。それでも、スプーンやフォークではなく、「○○ちゃんのおはし!」で食べたがった。覚えたばかりの自分の名前がしるされたお箸は、「わたしのために用意されたもの」として誇らしかったのかもしれない。
娘は大きくなり、あの名入れ箸もいつの間にか手には短くなった。もう食事の道具としての役目は終えている。それでも使っていた本人が「置いておいて」と言うのは、そこに名前だけではなく、「○○ちゃんのおはし!」と喜んでいたころの時間まで残っているからなのかもしれない。
名前をしるすのは、モノをなくしたくないときだけではない。「これはあなたのために用意したものです」と伝えたいときにも、想いをこめてしるす。「ここにちゃんと、あなたのための場所や道具がありますよ」と。