
先日、友人との待ち合わせまでウィンドウショッピングを楽しもうと、ガーデニングショップに立ち寄った。大小さまざまな観葉植物が置かれた店内、その中央の台に、小さな鉢が立ち並んでいる。盆栽かしら。近づくと、松でも楓でも梅でもない……ガジュマルだ。ガジュマル? 盆栽で??
盆栽と聞いてまず記憶にのぼるのは、祖父の家の軒先だ。商店街の裏手に伸びる長屋の、路地に面したわずかなスペース。洗濯物や植木鉢が並ぶその一角に、いくつかの盆栽も混じっていた。夏休みに遊びに行くと、祖父はたいてい野球のデーゲームの中継を観ている。試合が終わるとテレビを消して「よっこらしょ」と立ち上がり、玄関を出て、低い腰掛けで猫背になりながら、しばらく黙って盆栽を見る。
建物の影で、路地は涼しい。家の中に飽きて祖父に遊んでもらおうと外に出ると、盆栽講義が始まることが多々あった。「なあ、盆栽ってな、じいちゃんの言うことを聞かせるもんやないんや。木がどうなりたいかは、木が決めんねん。それを見てやるのが、じいちゃんの仕事」「この枝、切りたくなるやろ? でもな、もう少し待ったら、ええ形になることもある。急いで答え出したらあかんのよ」「この植木を見てみ。ばあちゃんは花をようけ咲かせるやろ。これは広がる楽しさやな。盆栽は逆で、鉢のなかで景色をちいこく深くしていく遊びや」などなど。
そのときはよくわからなかった言葉が、いま、ふわっと腑に落ちる。枝を切るかどうか迷う時間。切った結果があらわれるのは、ずっとあと。そのあいだで、「自分はどこを伸ばして、どこを整えるのか」「何を残して、何を手放すのか」を、少しずつ確かめていく。仕事でも、子育てでも、あるいは自分自身との付き合い方でも、近頃、似たようなことをしている。「こうありたい」と思い描く自分と、「実際にはこう動く」現実のあいだで、どこまで寄せて、どこをゆるめるか。そういう問いに向き合う時間が、増えた。
「ガジュマルの盆栽は、“正解”のかたちがないんですよ」
目の前の盆栽を見つめていると、店員さんが声をかけてくれた。なるほど。たしかに、松や楓の盆栽には「やっぱりこうだよね」という理想の型が定まっている。対してガジュマルは、そのあたりがカジュアルだ。ぷっくりした根、ゆるやかにうねる幹、青々とした葉。整いきらないかたちが、そのままひとつの景色になっている。店員さんによれば、ガジュマルは“よく生きる木”でもあるのだそう。少しくらい剪定を間違えても、また芽吹く。「ちょっと切りすぎたかもしれない」と思っても、きちんと応えてくれる。やり直しが効く、回復力込みの付き合いやすさがある、らしい。
ガジュマルで、気負いのない盆栽デビュー。とってもいいじゃないですか。家に持ち帰ったら、どこに置こうか。待つか、切るか、そのあいだの時間もおおいに悩んで、たのしみたい。
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