
この歳になって、不覚にも「にらめっこ」で笑ってしまった。そう、子どものあそびの、あれだ。知人に勧められて読んだ少年漫画で、冷酷極まりない強敵と、やや劣勢な味方役が戦うクライマックスシーン。三枚目キャラの味方役が不意打ちを仕掛け、突然、二人はにらめっこをすることになる。両者そむけた顔を「あっぷっぷ!」で向け合った瞬間、味方役は読者の予想どおりに、存分にひょうきんな表情。対する敵役はどう出るかしら。非情で残酷な彼だもの、きっと澄ましているのだろうなと思ったら……まったく違った。彼にしかできないやりかたで、おおいにおどけた顔をしてみせたのだ。プフッ。劇中の味方役はもちろん、わたしもまんまと吹き出してしまった。
にらめっこは、顔と顔を向け合うことで成立するあそびだ。「にらめっこしましょ、あっぷっぷ!」の掛け声とともに、相手の表情を読み、こちらも仕掛ける。こらえるか、降参するか。そのあいだで揺れたのち、「もうダメ」と笑い崩れる。
にらめっこのおもしろさについて考えていたら、別のあそびのことも思い出した。「いないいないばあ」だ。顔を隠して、また現れる。わずかな不在と再会のよろこびを「いないいない」と「ばあ」のリズムに重ねて、わたしたちはあそぶ。にらめっこが“崩れる”ことでプフッと笑うあそびだとすれば、いないいないばあは“戻ってくる”ことでホッとするのが醍醐味だ。方向は違うけれど、どちらも顔と顔のあいだに生まれる、小さな関係の揺らぎを楽しんでいる。そのとき、子どもはただ笑っているだけではない。現れたり消えたりする顔を目で追い、声の調子に耳を澄まし、手や空気の動きを感じ取っている。視覚や聴覚、触覚といった五感がゆるやかにひらかれ、その重なりのなかで、「いま、何が起きているのか」をつかもうとしているのだろう。
いないいないばあ的なあそびは、ほとんど同じかたちで古くから世界中のあちこちに息づいている。呼び方は、たとえば「peekaboo(ピーカブー/英語)」「coucou(ククー/フランス語)」「까꿍(ッカックン/韓国語)」――どの言語でも、いないいないばあの驚きや楽しさが、そのまま声になったような響きをしている。
テディベアで知られるアメリカのGUND社に、「フラッピー・フローラ」という、電池式のウサギのぬいぐるみがある。やわらかい手触りのからだに、大きな耳。お店のおもちゃ売り場で見かけたそのぬいぐるみは、スイッチを入れると、ひとりでに耳をパタパタ動かし、耳で顔を隠しては、また現す。「peekaboo」とおしゃべりしたり歌ったりしながら繰り返す動きは、言葉は英語でも、いないいないばあそのものだ。
いないいないばあは、そうとは口に出さず、子どもに「ここにいるよ」と伝えるあそびともいえるかもしれない。姿が見えなくなっても、また現れる。関係は途切れない。その安心感を、声と動きで手渡していく。
隠れて、現れて、「ここにいるよ」と伝える。こらえて、崩れて、「もうダメ」と笑ってしまう。顔ひとつのコミュニケーションで、二人をはさむ空気が一気に豊かになる。その豊かさは、ただのやさしさや楽しさにとどまらない。見ること、聞くこと、感じること――五感を通して世界を受け取り、自分なりに理解していく。そのはじまりが、シンプルなあそびのなかに静かに宿っている。耳を動かすウサギのぬいぐるみや、意表をつくおどけた顔をしてみせた少年漫画の強敵が、そんな当たり前のことを思い出させてくれた。
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