今日、私たち阪急百貨店は、お陰さまで皆さまにご愛顧いただいておりますが、その歴史を紐解くと、先進的かつ型破りな発想で、時代を切り拓いてきたことがわかります。
創業者の小林一三は、1873年山梨生まれ。34歳という若さで、現在の阪急電鉄の起源となった箕面有馬電気鉄道株式会社の取締役に就任し、それまでまったく関わりがなかった、鉄道の開通という新たなフィールドに挑戦することになります。それからの一三は、利用客を「作る」ため、沿線ののどかな農村地帯に新たな住宅地を作ったり、宝塚少女歌劇団を創設したり。誰にも思いつかなかった発想で、数々の事業を成功に導きました。そして1929年、一三はターミナル駅である梅田駅に地上8階、地下2階という巨大なビル(旧梅田阪急ビル)を建設し、テナントとして「阪急百貨店」の営業を開始したのです。これが「阪急うめだ本店」の原点です。駅直結で、しかも鉄道会社直営の百貨店は、日本はもちろん、世界にも例がない初めての取り組みでした。
一三が描いた “新しい街”のあり方は、未来のビジネスモデルとして、今も多くの起業家や経営者を惹きつけています。
一三の遺志を継いだ私たちは、今も阪急百貨店でしか出会えない“新しい何か”を探し続けています。とりわけ力を注いでいるのがファッションです。終戦後間もない1947年、婦人服の作品発表会「モードコンクール」と題した催しを開催。衣料品が不足するなか女性のファッションに対する要望に応えるものでした。1966年には東京・数寄屋橋阪急が「モードのお城」と愛称を改めリフレッシュオープン。日本人デザイナーによるデザイナーズブランドにいち早く着目し、その後巻き起こったDCブランドブームを牽引したのです。
1982年、阪急うめだ本店の大改装では、最先端のファッションを扱う「ナウファッションストリート」、海外のデザイナーズブランドに特化した「インターナショナルブティック」をオープン。“ファッションの阪急”というイメージを皆さまに持っていただくきっかけとなりました。1997年、レディースファッションのフロアを拡大し、ファッション先導型の百貨店として本格的なスタートを切りました。
その後もアップデートを重ね、2016年3月のリニューアルを機に、よりクリエイティブでモードな阪急を打ち出すべく、新たにHANKYU.MODE プロジェクトをスタート。中でも、いち早くアヴァンギャルドでアップカミングなブランドやアイテムを揃えるエディトリアルショップ『D-LAB 』“ここにしかないファッション”に巡り合える場が誕生しました。同時に、日々更新されるモードなニュースを発信するため、HANKYU.MODE と題したWEBサイトもローンチ。以来、モードに特化した独自の切り口で、世界のファッションをお届けし続けています。
そして2023年10月1日、グローバルなハイエンドファッションの世界観を体験できるイベントスペース『POP UP CIRCUS』が誕生。
どれだけ時代が変わろうとも、ファッションの原点はやはり楽しさや喜びにあるのだと、私たちは固く信じています。
参照リンク
様々な生活文化を創り出したアイデアマン「 小林一三 」|阪急電鉄
小林一三について | 阪急文化財団