先日、娘と夜道を歩いていると、通りかかった単身者用マンションのベランダからブィーンチャプチャプ、ブィーンチャプチャプ……と一定のリズムでモーターに掻き回される水の音が聞こえてきた。縦型洗濯機が回っているのだろう。我が家はもう10年以上ドラム式洗濯機を使っているので、このリズムは久しぶり。娘が立ち止まって、「昔のおばあちゃん家の音だ。癒される~」と言う。ああ! そういえば、娘が幼い頃に両親が暮らしていた家は、客間の隣が洗面所で、泊まりに行くと、明け方から母が回しはじめる洗濯機のブィーンチャプチャプが、目覚めの一杯ならぬ“目覚めのせせらぎ”になっていたっけ。
わたしには特段思い入れがないブィーンチャプチャプが、娘にとっては一時足を止めるほどの懐かしいものになっている。おばあちゃん家の安心感。お泊まりした朝、まどろみのなかで聴きなじんだ音。音、匂い、味、感触……そのときはことばにしなかった(するほどでもなかった)体験や体感、そういうものによって、暮らしの記憶は大方かたちづくられているのだろう。昨今わたしたちは、たとえばスマートフォンがあれば、世界中の癒しスポットを検索で見て回ることができる。さまざまな情報が指先ひとつで手に入る。でも、暮らしを積み上げていくのは、情報じゃない。体験だ。
それならば、暮らしにあたらしくモノを迎える際、たまにはこんなやりかたで選ぶのはどうだろう。コストパフォーマンスや世の中の流行やブランドの人気ぶりといった“情報”は一旦脇に置く。そのモノに直に触れて、五感から“記憶”にアクセスする。そのとき、これから時間をともにする相棒として心地よさが湧いてくるだろうか。記憶を原点とする、安心感とか活力。そういうシンプルな幸せを反芻しながらお買い物するのも、なかなか趣があるんじゃないかしら。
先日、冬物のアウターを新調しようと百貨店に出かけた。オンラインショッピングでもよかったのだけど、娘とのブィーンチャプチャプの一件があって、実際に袖を通して“記憶”にアクセスしながら選びたいと思ったのだ。
そこで出会ったのが、ウールリッチのウールコート。ここ数年はツイードやダウンをよく着ていたこともあってか、ウールのなめらかさを新鮮に感じた。それでいてこの感触には馴染みもあって、どこか“初心”をまとっている。どうしてだろうと記憶を辿ると、中学1年生のときの制服のウールコートと、社会人1年目の冬に買ったウールコートに行き着いた。環境が大きく変わった最初の冬の少し“おとな”になった高揚感と、まだ背伸びして足元がおぼつかない緊張感。ふたつがないまぜになったくすぐったさが、心地よくわたしの身を包んだ。
ウールリッチはその名のとおり、もとは毛織物メーカーだ。「ウールリッチといえばダウンジャケットのイメージが強いかもしれませんが、原点はウールなんです」とお店の方は話す。なるほど、原点。原点回帰。わたしもこの冬、ウールコートを着て“初心”に立ち返ってみよう。