とりあえずお別れするのではなく、「とりあえず」とお別れする――
「とりあえず」は、平安時代にうまれた言葉だという。当時は「たちどころに・すぐに」という意味で使われていたらしい。ふむふむ。いまもその意味で使うこともままある。たとえば、なかなか起き上がれない朝。あれをしなきゃこれはどうしよう……とぐずぐずしてしまうなか、「とりあえず、顔を洗おう」と後先考えずに立ち上がってみる。居酒屋での「とりあえずビール!」も、そう。景気づけとしての「とりあえず」。
一方で、そうじゃない「とりあえず」もある。間に合わせの応急処置をするときの、それだ。「とりあえず、そこに置いておこう」「とりあえず、それはあとで考えよう」――景気づけの意気揚々とした感じはなく、代わりに、後回しにする後ろめたさが漂う。こっちの「とりあえず」は、厄介。一度使いはじめると、あとで片付けるべき“宿題”が雪だるま式に増えていく。溜め込んだ“宿題”が、心とからだにどんより沈澱。フットワークが悪くなる。
ああ、なんだか書いているだけで、生きるエネルギーが奪われそう。読んでいる方の気持ちも幾分沈めてしまったかもしれません。ごめんなさい。
どんより感を呼び込む「とりあえず」をとりあえず(景気づけに)跳ねのけたいとき、わたしはよく、バッグの中身を整理する。バッグって、気がつくといろんなものが溜め込まれていませんか? とりあえず受け取ったレシート、とりあえず体調を案じて買ったのど飴、とりあえず「備えあれば憂いなし」を詰めたポーチなどなど。中身を全部出して並べてみると、今のわたしに必要ないものが紛れていることも少なくない。今のわたしに必要なものだけを再びバッグへ戻すと、「とりあえず」のどんよりから解放されて、背筋がシャキッと伸び、心もふわっと軽くなる。
バッグの中身は、「名は体を表す」にきっとかなり近しい。有名人がバッグの中の私物を紹介する「What's in my bag?」というコンテンツが雑誌やSNSで流行しているけれど(もはや定番?)、外出時に何を携えているかって、バッグの持ち主の人となりや暮らしぶりを象徴していると思うのだ。だからこそ、バッグに間に合わせの「とりあえず」を紛れ込ませないことは、精神衛生的に非常に重要(なはず)。
まちなかでミニバッグを持つひとを見かけると、きっぷの良さを感じる。お見受けするに、中身はスマートフォン、ミニ財布、ハンカチ、リップスティックくらいかしら。携えるモノの少なさをあえて楽しむ美学が漂う。「とりあえず」が入り込む余地などないのはもちろん、「これだけで十分よ」と言わんばかりの潔さ。身軽さは自由さだなぁ、と思わずにいられない。
先日電車で座っていたら、わたしの前に、ミニバッグに同系色のサブバッグを併せている女性が立った。大きめではあるけれど、マチのないフラットなサブバッグ。しっかりしたキャンバス地で、「ミニバッグはミニバッグ、わたしはわたし」と助演女優よろしく凛とした存在感を放っていた。中には何が入っているんだろう。パソコン? 羽織もの? 膨れ上がっていないバッグの厚みにも、持ち主である女性の「とりあえず、これも持っておこう」を排する佇まいを感じて、格好良かった。
間に合わせの「とりあえず」よ、グッバイ。