オセロの盤上。自分の色の石で対戦相手の色の石を挟み、パチンパチンとリズムよく自分の色にひっくり返していく。たくさんの石を一気にひっくり返せたときや、形勢逆転の一手を打てたときは、快感。なんでこんなに気持ちがいいんだろう。自分のアクションが目の前の状況を変えていくさまかしら? まだ見ぬ未来を予測しながら次の手をチューニングして、それが功を奏するプロセスって、すごく充実感に包まれる。
「ひっくり返す」快感を、日々の暮らしのなかでも覚えることがある。たとえば、疲れ果てて一刻も早くベッドに潜り込みたい夜。シンクに積まれた夕飯の洗いものを、明日のわたしに引き継ぎたい。いや、押し付けたい。そうやって易きに流れそうになる0コンマ数秒手前で、いやいや……と思い直すのだ。翌朝、目覚めの炭酸水を飲みに向かった台所で目にする光景がこれでは残念だなぁ、気持ちがどんよりするだろうなぁ、と想像して。
よいしょ。リクライニングソファに深く沈み込んだ重たい体を起こして台所に向かい、スポンジに洗剤を垂らす。いざとりかかってみるとさほど面倒に感じないのが、からだに馴染んだ家事というもの。頭よりも先にからだがてきぱき動く。洗いものを終えると、明日のわたしから「おかげで爽やかな朝になるわ。ありがとう!」とねぎらいが聞こえてくる気がする。やった! 今夜のわたしのひと踏ん張りが、翌朝のわたしの気持ちをひっくり返した。
時間というものは、時計の動きでは過去から現在、未来に流れていく一方だ。けれどもこういうときの感覚は、未来のわたしが今のわたしのアクションを引っ張り上げてくれているような。時空もちょっと、ひっくり返る。
ひっくり返さなくても、のんべんだらりと日々を続けていくことはできる。洗いものを残したまま床についても、翌朝のわたしは「まぁいいよ」と許してくれるだろう。ただ、その許しは、どこか諦めを帯びている。諦めは無意識のうちに、意欲を削いでいく。感覚を鈍くする。諦めつづけていると、気づかないうちに「なんとなくつまらない」日々ができあがってしまう。
そんなの、つまらない。だから、ひっくり返すアクションを起こそう。こまめに。小さなことからコツコツと。諦めを積まないように。
先日、JIBの店頭で「ひっくり返す」ができるバッグに出会った。その名も「リバーシブルバッグ」。片面は明るめカラーのセイルクロスに大きめのクジラのロゴマーク、もう片面は落ち着いた色合いの上質なナイロン生地にレザータグ。2つのバッグがひとつになったような構造で、サイドの留め具を外すと内側・外側をパタンとひっくり返すことができる。
外側に持ってくる面によって、色も雰囲気も、ガラリとひっくり返る。これはつまり、このバッグがあれば行き先もひっくり返せるということ。たとえば、日中をアクティブに過ごしたあとで、シックなディナーへ。ジッと仕事をすませたあとで、パーッとサイクリングやツーリングへ。
今日は、ここでは、どちらの面を外側にしよう? そんなふうに一瞬頭を巡らせるアクションも、「なんとなくつまらない」マンネリを寄せつけず、新鮮な感覚で日々をつくる仕掛けになりそうだ。