「3」という数字は、独特のイメージをもっていると思う。たとえば、「三位一体」「三種の神器」といったことばが醸す、一揃い感。縦・横・高さの三次元よろしく、3つの要素が揃うことで「何か」の存在感が浮き彫りになる。そしてたとえば、「石の上にも三年」「仏の顔も三度まで」などのことわざが有する、区切り感。「一」や「二」のときにはうすぼんやりしている「何か」の印象も、「三」まで重ねると、おおよそのかたちが見えてくる。ことば以外でも、たとえば三脚の安定性。一脚や二脚はまず自立しないし、手で支えてもぐらぐらと頼りない。この春も、3本の脚に支えられたカメラが、運動会で疾走するこどもの姿をブレることなく写真におさめてくれた。
寝る前に3行日記をつけるようになって、そろそろ半年が経つ。きっかけは、気心の知れた友人とお酒を飲みに行ったときに、ともに過ごした若い頃の思い出話はすらすら出てくるのに、「最近こんなことがあってね」の「こんなこと」がつくづく思い浮かばなかったこと。あれ? 日々、刺激的なひとたちに囲まれて仕事をして、愉快な家族とケラケラと笑いながら暮らしているはずなのに、なぜ。もしかして、あまりにせわしなく過ごしているせいで、毎日の記憶が蓄積ではなく上書きされていっているのではないか。イヤだイヤだ、忘れたくない!と思い、外部記憶として日記をつけることにした。
3行日記は、その名のとおり、その日のことをたった3行(3つの項目)で書く形式の日記。見聞きした情報によると、その日のよかったこと・よくなかったこと・明日の目標を書き留めるらしい。わたしは勝手にアレンジして、「わぁ、これ、明日になっても忘れたくない」と思うことを3つ書いている。もちろん、3つも頭に浮かばない日もある。それでも捻りだしてでも3つ記しておくと、読み返したときに「その日」の記憶が蘇ってくるから不思議。
このエッセイは、とある金曜日の3行日記(3つの“わぁ、これ、明日になっても忘れたくない”)の「夕方、コンビニのレジカウンターで前に並んでいたスーツ姿の女性が、結婚情報誌と缶チューハイとトイレットペーパーを買っていた」に着想を得て書いている。女性がエコバッグに入れていく3つを覗き見て、わたしは思わず、見知らぬ彼女に心の中で「1週間おつかれさま!」と声をかけた。結婚情報誌と、缶チューハイと、トイレットペーパー。そこになんというか、彼女の暮らしの未来とハレとケの絶妙なトライアングルを感じたのだ。
先日、杉・山桜・檜の3種類の天然木でつくられたフレームを見つけた。壁掛けも自立もできて、縦・横どちらに向けても様になるデザイン。もちろんフレームを1つポンと飾っても格好いいだろうけれど、木目の表情が異なる杉・山桜・檜の3種類を並べるとより趣がありそうだなと思った。旅先で撮ったシーン3選とか、こどもの折り紙や絵の作品を3つ挟み込むのもいいかもしれない。その3つが、旅行の「あのとき」やこどもの「いま」をありありと物語ってくれるんじゃないだろうか。
そういえば、「3選」ではないけれど、『部屋とYシャツと私』や『愛しさと切なさと心強さと』も3つの要素によって「何か」が語られているものね。