冬の朝、えいやっとベッドを抜け出し、トイレを経由して洗面所へ。ヘアバンドをつけて腕まくりし、ヨモギソープを泡立てる。たちのぼる薬草らしい香り。それを、嗅覚でつかまえにいく。ああ、いい匂い。好き。もこもこの泡で顔を包み込むと、ヨモギの香りが寝ぼけた脳みそのすみずみにまで行きわたり、思考が働きはじめるのを感じる。同時に、顔をなでる泡の感触によって、皮膚の感覚が起動していく。しんと冷えた空間で、ほぐれていく頭とからだ。緩急のギャップがなんだか楽しい。
ぬるま湯でヨモギソープを洗い流すころには、身も心もシャキーンと目覚めている。清々しさを味わいながら、化粧水とクリームを塗っていく。肌がモチモチしているだけで、どうしてこうも嬉しいのだろう。ヨモギソープが合っているのか、この冬、わたしの肌はめずらしく「ゆらぎ」知らずだ。
ポツポツ、カサカサ、ときにヒリヒリ。「ゆらぎ肌」。気候の変化や紫外線などの外部刺激にうまく適応できず、肌の調子が不安定になっている状態のことを指すそうだ。ポツポツ、カサカサ、ヒリヒリは、気持ちをもくすませる。朝の化粧ノリが今ひとつだと、「うまくいかなかった」その事実が、そのあとの一日にどこか影を落としがち。「ゆらぎ肌」に悩まされるひとは、きっと多いんじゃないだろうか。
「ゆらぎ」を辞書でひくと、「動揺すること」とともに「ずれ」も意味しているらしい。肌の調子のずれが、心の動揺を生む。肌の不調を「ゆらぎ」と表現するのって、なかなか言い得て妙だと思う。
そういえば、高校のとき、物理の先生が「自然界に存在するものは、すべて、ゆらいでいる。じっと静止したままのものはない」と言っていた。それは、思春期まっただなかで“完璧”や“完全”を求めて意固地になったり背伸びしたりしていた私たち生徒に向けた年長者からの助言で、当時はハイハイと聞き流しただけだったけれど、今あらためてその言葉を噛みしめると、ん? 「ゆらぎ」って一概にネガティブな動きではない……? 「ゆらぎ」は、つねに起こっている。
ヨモギの香りで“気持ち”が上を向く、洗顔で寝ぼけていた“からだ”が目覚める――それらも、1日のながれにおける「ゆらぎ」。もし、気持ちやからだが「ゆらがない」としたら、乱暴に言い換えれば、凝り固まっている・硬直しているということだ。硬直していると、刺激に耐えきれなくなったとき、ポキッと壊れてしまいそう。
からだの外側にある肌は、日々、外部刺激を浴びている。「ゆらぎ肌」のトラブルに見舞われるといちはやく鎮めたくなってしまうけれど、鎮静よりも調和の心持ちで臨むほうが、ゆらぎのリズムとのシンクロがうまくいきそう、な気がする。