この冬は、久しぶりに遠方に旅行したい気分。
旅行って、日々の「余白」に位置するものだと思う。ここ数年は世の中の状況が状況だったし、わたし自身も仕事と日常生活にかかりきりで、「余白」を味わう余裕がなかった。衝動的に「旅」に出ることはあっても、「旅行」ってそんなに差し迫った心境でするものじゃない。せっかくの「余白」なのだから、快適さを重視して、ガマンは極力排除して臨みたいもの。
どこに行くか。誰と行くか。何を着て、何をかばんに詰め、何を置いていくか。選択に選択を重ねて、旅行の準備はすすんでいく。選択という行為は、わりと体力を要する。比較材料のアレとソレを集めてこないといけないし、アレとソレの比較検討には頭をつかうし、そもそもどのような判断基準・価値観でアレとソレを比較するか決めておく必要がある。「旅行に行きたい」という欲求がむくむくと湧き上がるのは、選択––––集める・考える・決める––––を前向きに「しよう!」と思えるだけの元気が体内にチャージされたことの合図かもしれない。
冬場の遠方への旅行における「選択」といえば、20代半ばの頃にした年末年始の北海道旅行が印象深い。ここでの後悔で、わたしの旅行に対する価値観が定まった。「フレキシブルなのが、好き」。
その旅行は、小樽・ニセコ・函館・登別・札幌を1泊ずつレンタカーで巡って、トワイライトエクスプレスで関西に戻ってくるという行程だった。初めての北海道を満喫したいと話し合って組んだが、これがわりと気忙しかった。北海道では街と街があんなに離れているとは! 日本地図を見れば想像がつきそうなものだが、つい自分の暮らしのスケールで、道内の街どうしの距離感を測ってしまっていた。真冬の北海道で陽があるうちに宿への到着を目指すと、日中は移動がほぼメインイベントとなってしまった。
そして後悔がもう一つ。服装。当時、寒冷地仕様(?)のアウターを持っていなかったわたしは、とにかく手持ちの中から暖かいインナーをかき集めてスーツケースに詰め込んだ。荷物がかさばるうえに、インナーを着込むと屋内で暑苦しく、ほどほどにすると屋外で震える。連日長時間を過ごすレンタカーの中で、脱ぐわけにもいかず身動きも取りにくい厚手のセーターにのぼせながら、わたしは学んだ。旅行は身軽で。
もし、もう一度あの北海道旅行をするなら? 妄想してみる。まず、旅程。毎日違う街に移動するのは控えよう。そう何度も訪れられない街ばかりだから、その場所をゆっくり味わいたい。そして服装は、寒冷地でも暖かく過ごせるアウターを1着用意しよう。街を巡るから、アウトドアっぽくなりすぎないものがいいかな。そうしたら、温泉宿もレストランも臆せずたのしめる。アウターが暖かいぶん、インナーは普段どおりのもので大丈夫そう。大判のショールをかばんに入れておいたら、マフラーにもカーディガン代わりにもできるだろうし。身軽・イズ・フレキシブルだ。