「ジューシーな食卓。~百聞は一見にしかず~」で、友人宅に行ったときにARASのお皿とフォークでサイコーに気持ちがいい「お皿の上のケーキにフォークを入れ、ひとくち分を掬い取る」体験をした話を書いたが、先日、そのARASを作る石川樹脂工業の石川 勤さんにお会いする機会があった。
ケーキの感動とともに「石川樹脂工業さんがある石川県加賀市って、工芸のまちっていわれますよね。わたし、ARASのお皿とフォークの使いやすさと使い心地のよさに、工芸らしさを感じたんです」と伝えると、石川さんは「うちの会社は祖父の時代に、加賀の工芸品である山中塗の木地(きじ:漆を塗る前の木材)を挽いて売る商売から始まったんですよ」と言う。
「今の工場も裏手はすぐ山なんですけど、このあたりは昔、冬場に1日で1m雪が積もることも珍しくありませんでした。雪深い季節はどこへも出かけられなくて、山中の木材は木目の美しさが評判だったから、みんなで家にこもってせっせと作っていたのが、山中塗のお椀や茶托です」(石川さん)
一つひとつ職人の手でていねいに作られてきた山中塗は、戦後、時代の流れとともに機械による大量生産が主流になった。塗料は漆からウレタンへ、素地は木材から樹脂へ。こういう話を聞くと部外者のわたしは「失われた何か」を想って勝手にどよんとした気持ちになってしまうのだけど、石川さんの隣にいたARASのデザイナー・上町達也さん(secca inc.)は「僕は、工芸の工業化を悲観的には捉えていなくて」と話し始めてくれた。
「たとえば山中塗と同じ加賀の伝統工芸品である九谷焼も、手仕事の上絵付けから、シルクスクリーンを用いた転写技術にまで進化をしてきました。技術で効率化したものは、手仕事に対して『ニセモノ』と呼ばれる向きがどうしてもあるけれど、『良いものをより多くのひとにお届けする』という目的さえ変わらなければ、機械化も伝統工芸の正当進化の一つの解だと感じていますし、僕は、手仕事と同じようにリスペクトしています」(上町さん)
なるほどなぁ。つい、素材や作られ方で「ホンモノ」「ニセモノ」を分けてしまいがちだけれど、たとえばお皿とフォークに「ホンモノ」「ニセモノ」があるとしたら、それは素材がどうこうではなく、実用性と使い心地のよしあしなのだろうなと思う。
「祖父が山中塗を作っていたこともあって、振り返ると僕は、身の回りを『良いうつわ』に囲まれて育ちました。恐れ多くも、高価なお茶碗に平然とごはんをよそって食べたり。うつわはずっと身近な存在でしたし、今でもこだわりがあります。うつわ好きとしては、樹脂で作るARASを、同じくうつわ好きの方々にお気に入りの陶磁器や漆器、ガラス食器と組み合わせて食卓を彩っていただける存在に育てていきたいですね」(石川さん)
その「まぜこぜ」、素敵かもしれない。「まぜこぜ」は、雑多とは違う。無秩序ではなく、意識して選んだ「いいな」の積み重ねだ。一つひとつに、思い出や好み、今の自分が映っている。古いものと新しいもの、価値観、背景。境界をあえてまたいで自分の感覚で選ぶことが、意外な組み合わせがもたらす発見や、「わたしらしい暮らし」につながっていくはず。
メインディッシュや汁物は、軽くて熱くなりにくいARASのうつわ。一方で、小鉢やごはん茶碗には、譲り受けたり旅行先で買い集めたりしたお気に入りの焼き物を――うつわ好きの石川さんの言葉に触れて、わたしの「まぜこぜ」の食卓の妄想が膨らんだ。素材も形も異なるうつわたちが同じ食卓に並び、それぞれの使いやすさと使い心地のよさが、家族の食事の時間を満たしていく。もちろん食卓には、気忙しい平日とゆったり過ごす休日とでうつわのラインナップを変えるという「まぜこぜ」のかたちもあるだろう。「まぜこぜ」を、たのしもう。
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