出かけるときに口にする「いってきます」。聞くところによると、この何気ないあいさつの言葉は「行きます」と「(必ず無事に)帰ってきます」がまとまったものだという。行って帰ってくるまでが、「いってきます」。わたしたちは無意識に小さな希望を口にして、未来を宣言しているみたい。
まだ訪れていない未来を、あたかももう叶ったかのように先に祝う「予祝(よしゅく)」。日々の暮らしには、予祝があちこちに潜んでいる。幸せを呼び込むための、静かな祈りのようなふるまい。願掛けよりも楽観的、計画よりもちょっと情緒的。たとえば、新しい季節に向けてお弁当箱を新調すること。たいせつなイベントを前に、ぴかぴかの靴を用意すること。まだ見ぬ出来事を祝うささやかな儀式は、暮らしの端々に息づいている。
我が家には、この春に中学校にあがった娘がいる。先日、その娘が、来春小学生になる姪っ子のランドセル選びに呼ばれた。百貨店のランドセル売場に集合したのは、姪っ子率いる弟家族、我が家の娘、付き添いのわたし。オーソドックスなデザインからパステルカラーにパール加工、刺繍にリボンとさまざまなランドセルに囲まれた売場で、義妹が娘に「このあいだまで“現役小学生”だった先輩の意見を、ぜひ聞かせてほしいの」と言う。まなざしを輝かせてランドセルを見て回る姪っ子を眺めて、娘は自分の役割を理解したよう。
姪っ子が「これにする!」と手に取ったのは、淡いラベンダー色のランドセル。母である義妹は、すかさず「ちょっと派手じゃない? 高学年になったときに好みじゃなくなるかもよ」と口をはさむ。「でもこれが一番かわいいの!」と姪っ子はゆずらない。予想どおり、ちいさな攻防がはじまった。なかなかどちらも引かない。「もう少し落ち着いた色の方にしたら?」と勧めながら、やれやれと我が家の娘に目くばせをする義妹。「そうだねぇ」と娘が口をひらく。「けっきょく、6年間毎日使うのは◯◯ちゃんだからなぁ」。このコメントが鶴の一声となって、義妹が折れるかたちとなった。
この攻防は、単なる色やデザインの好みの話ではないと思う。親は実用性と長期目線で未来を見据えて、「健やかに」「安全に」「飽きずに使えるように」と願いをこめる。一方でこどもは、今この瞬間の「かわいい!」「これが好き!」に、未来の自分を重ねている。どちらも真剣。ランドセルを選ぶ行為は、親にとっても子にとっても「これからはじまる日々がかがやく」という予祝なのだ。登下校、雨の日、晴れの日、忘れもの、おしゃべり、ケンカ、そしてお勉強。ランドセルを背負う背中で重ねる時間が、どんどん宝物になりますように。
ちなみにランドセルの語源は、オランダ語の「ランセル」(軍人が使用するリュックサックのような丈夫なカバン)。明治時代には、皇族の学習院入学に際して「自分の荷物は自分で持つべし」と、軍用の箱型背のうが使われ始めたという説もある。自分の責任を自分で引き受ける人間に……という教育観とともに、「健やかに、立派に育ってくれますように」とこどもに渡すランドセルは、その始まりから予祝の象徴だったんだろうな。
未来を祝うには、すこし早いくらいがちょうどいい。しゅくしゅくと、日々のなかで育まれる予祝。そっと誰かの背中に手を添えるように、暮らしをちょっとずつ前向きにしてくれる静かな魔法だ。
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