なぜか昔から、クリスマスよりお正月に気合いが入るタイプで、おせち料理もできるだけ手づくりすることにしている。栗きんとんや昆布巻き、黒豆、お煮しめ、海老などをととのえ、お重に詰める。漆塗りの重箱や、半月型の折敷(おしき)など、お正月だけに使う道具たちと1年ぶりに再会するのも心楽しい。
思い起こせば、来年で結婚10周年になるから、もうすぐ10回目のお正月を彼と一緒に過ごすことになるのだ。面白いもので、お正月の迎え方も、わたしの実家の流儀と彼の実家の流儀が入り混じって、いつしか「わが家流」ができあがってきた。
たとえばお煮しめの煮方。わたしの実家は、具材を一緒のお鍋で煮ていたけれど、彼の実家は具材ごとに別々に煮るやり方。わたしも今ではこちらを採用している。そして彼の実家では、おせちに鶏の照り焼きを入れるという習慣があって、これも新婚当時は驚きだった。最初はそれをそのまま真似していたけれど、次第にわたしなりにひと工夫して、にんじんやインゲンを入れた八幡巻き風にするようになった。少し手間はかかるけれど、切り口に野菜の赤や緑が市松に並ぶさまが福々しくて、重箱を開ける楽しさが増すのだ。
元旦の朝、祝い箸の袋には、筆文字でそれぞれの名前を書く。これは彼の実家ふう。そして食卓についたら、「あけましておめでとうございます」の挨拶とともに、小梅と結び昆布を入れた大福茶を飲む。これはわたしの実家ふう。最初は、ささいな習慣の違いも珍しくて、「へえ、そんなふうにするんだね」ってお互い言い合ったっけ。でも今はいろいろミックスされた「わが家流」が落ち着く。そして、暮らしというのはこうやって自分たちの手でつくっていくものなんだな、と思う。
さて、なんとなく「型」ができてきたわが家のお正月だけど、10回目となる次は、「これからもよろしく」の思いを込めて、何か新しいもので華を添えたいな。そんなことを思いながら百貨店の売り場を歩いていたら、渋い輝きを放つものが目に飛び込んできた。
鋳物のまち、富山県高岡市でつくられる錫の酒器や箸置きだ。そういえば、結婚10年の節目は「錫婚式」というのだと、どこかで聞いたのを思い出した。手に持つと軽くて、金属なのにどこかあたたかみがある。昔から錫の器は、お酒や水をまろやかな味わいにすると言われてもいるそうだ。さらに驚いたのは、錫の柔らかさ。売り場の店員さんが「見ててくださいね」と言いながら片口を持つ指先に力を入れると、その輪郭が軽く変化した。手の力には逆らわないが、ぐにゃり、というほど軟弱ではなく、したたかだ。そして完璧ではない、曲がった輪郭も、どこかやさしく愛おしい。
なるほどね、とわたしはうなずく。いろんなことを受け止めて、多少曲がっても折れない強さ。この先20年30年と彼と一緒に暮らしをつくっていく中で、大切なのは、この錫のような心なんだ。
この先、衝突したりすれ違ったりすることもきっとあるだろう。でもそんなあれやこれやを乗り越えた末に、おいしいお酒のような円熟味を醸し出すふたりでいられたらいいな。これはわたしから彼へのサプライズ。お正月の朝、ちょっと驚く彼の顔を思い浮かべながら、買ったばかりの錫の器を包んでもらった。