ちょっとしたもののはずみで、俳句講座を受けることになった。初心者のわたしはまだ勝手がわからず、どうにかこうにか句らしきものをひねり出している状態だけれど、先生や他の先輩方はさすがで、まるでおしゃべりをするように句があふれてくる。先生なんて、ある休みの日に金閣寺に出かけたら、その日だけで50も句ができてしまったそうだ。「メモ帳を持って歩いて、なんでも心に浮かんだことを書けばいいんですよ。その瞬間を、カメラのシャッターで切り取るみたいにね。言葉をととのえるのは、あとからゆっくり、落ち着いてからでいいの」と、先生は言う。
家の中で、町の中で、自然の中で。見た情景、聴こえた音、鼻をかすめる香り。あらゆるものがスイッチとなって発句の回路をひらく。五・七・五のリズムで句がこぼれ落ちてくる。季語も入れて17文字オンリーなんていう極端な制約の中で、その人だけのまなざし、心情がにじみ出る。不自由そうに見えて、可能性は無限。そんな不思議な世界。
ちょっと視点を変えてみるだけで、わたしの回路をひらいてくれるスイッチは、いたるところにあるんだ。そんなふうに思うようになってからというもの、週末の散歩が楽しみになった。
さて、ちょうど季節は晩秋深まる頃。今日は少し足を伸ばして、近くの山まで「レッツ・ハイク」と行こうかな。紅葉見物のハイキングを兼ねて、俳句のネタを拾い集めるのだ。普段より早起きしたわたしは、いそいそと身支度をする。
ひと思案してクローゼットから取り出したのは、JOTTのライトダウンベスト。軽くて薄手で、ほどよい保温力がありつつかさばらないから、こんな日の温度調整にちょうどいい。いつまでも夏が尾を引くように続いた今年だったけれど、ようやくこれをまとう季節になったんだな。晩秋になり、その年最初にこのダウンを取り出すうきうき感も、わたしにとっては暮らしを彩る歳時記なのだ。
フード付きパーカーの上にダウンベストを羽織り、トレッキングシューズを履く。ものすごくありふれた組み合わせだけれど、実用一点張りのもっさりした感じにならないのが、このダウンベストのうれしいところ。ちょっと小粋な女性らしさが漂うのは、フランス生まれゆえだろうか。考えてみれば、ダウンベストなんていうものも、ある程度型が決まっているものなのに、メーカーごとにずいぶん表情が違う。ステッチの幅だったり、シルエットだったり色使いだったり、制約の中でも個性を光らせるポイントはいたるところにある。なんだか俳句みたいね。
さて、リュックには、先生のアドバイスどおりメモ帳を。あとは、あたたかいほうじ茶の入った水筒とおむすび、それから帰り道に温泉に寄ることを考えて、タオルと化粧水も入れなくちゃ。トレッキングシューズの紐をキュッと結んで玄関を開けると、鮮やかな赤が目に飛び込んできた。ご近所の庭に咲くサザンカだ。あ、花と目が合った、とわたしは感じる。サザンカが好きだった亡き祖母の記憶が一瞬にしてよみがえる。んー、この瞬間のこの気持ち、句にならないかな。頭の中でぐるぐる回り出す言葉と一緒に、私は秋空の下を歩いていく。