自分が家庭をもってみると、まだまだ母にかなわないことがたくさんあるのに気づく。アイロンかけの腕や掃除のまめさ、料理でいうと「鶏肉の赤ワイン煮込み」の味なんかもそうだ。これは誕生日やクリスマスに、よく母がつくってくれた料理で、わたしも時折、真似してつくってみるのだけれど、いつも何かが足りない感じで、うーんと首をひねるのだ。
食いしんぼうで好奇心旺盛な母は、わたしが物心つくころから、よく雑誌やテレビの料理コーナーでおいしそうなレシピを見つけては、家族のためにつくってくれた。何冊も溜まった手書きのレシピノートは、何度も台所で開かれたせいか、ところどころインクの色が濡れてにじんでいたり、赤いソースのシミが付いていたりする。そこには、若かりし日の母の息づかいや体温が宿っているようで、見飽きることがない。レシピでもなんでもスマホで見つけられる今は便利だけれど、こういう「日々の重み」が伝わる手ざわりみたいなものって、やっぱり愛おしいなと思うのだ。
くだんの「鶏肉の赤ワイン煮込み」は、母が生まれて初めて行った海外旅行先のパリの思い出の味だそう。おしゃれやライフスタイルの情報源といえば圧倒的に雑誌だったあの時代(「元祖オリーブ少女といえばわたしたちのことだからね!」と冗談めかして母は言う)、母は雑誌の切り抜きを握りしめて、そのお目当てのビストロに足を踏み入れたそうだ。赤と白のチェック柄テーブルクロスが醸し出すノスタルジックな雰囲気と、フランス語のメニューブック。胸をドキドキさせながら、覚えたてのフランス語で給仕係のムッシュに話しかけたことを、母はまるで昨日のことのように話してくれる。
そして帰国後、自分でもあの味をつくってみようと、あちこちからレシピを探し出した母。分量や手順をノートに書き付け、何度も繰り返しつくるうちに、母は借り物だったレシピをだんだんと自分のものにしていったのだろう。大げさかもしれないけれど、ひと皿の料理にも、母の青春のかけらが溶け込んでいるのだ。そりゃ、わたしがかなわないのも無理はない。なーんて言ってしまったら、言いわけに聞こえるかしら。
わが家では、この料理を盛り付けるのは、いつもキャトル・セゾンのお皿と決まっていた。その昔、パリのビストロで使われていた食器を再現した「オールドメニュー」シリーズは、気取らない家庭料理によく合う。「ちょうど働き始めた頃だったかな、自由が丘にできたキャトル・セゾンのお店が雑誌によく紹介されてて、憧れたのよねえ」と母は懐かしそうに言う。雑誌のページ越しに、パリやニューヨークやロンドンから届くファッション、インテリア、音楽、映画に胸ときめかせた青春の日々。これもまた、母の人生の一部なのだ。
そうだ、今度はわたしが母を招待して、手づくりの「鶏肉の赤ワイン煮込み」を囲んでワインで乾杯といこうかな。お皿はもちろん、キャトル・セゾンの「オールドメニュー」だ。母の青春の味は、わたしの一部となって、これからもずっと生き続ける。まだまだ、あなたの味にはかなわないとは思うけれど、そこは気長にご指導よろしくね、お母さん。