You are the apple of my eyes ——君はぼくの瞳のりんごだよ。これは大切な人に向けた愛情をあらわすフレーズ。こんな表現が英語にあることを知ったのは、ずいぶん昔に聴いたスティーヴィー・ワンダーの名曲〈YOU ARE THE SUNSHINE OF MY LIFE〉のおかげだ。日本語に置き換えるとしたら、「目の中に入れても痛くない」ってやつ。目の中にある瞳孔を、りんごにたとえて「この上なく大切なもの」をあらわすのだそうだ。あるいはもう一歩踏み込んで、りんごの形がハートに似ていることから、「目がハートになる」ことを指すという説もあるらしい。真偽のほどはよくわからないけれど、とにかく、りんごが持つイメージはなかなか豊かなのだ。
アダムとイブが食べたりんごは知恵の象徴だし、ヨーロッパのさまざまな神話にも生命の象徴としてのりんごが登場する。たくさんの言い伝えが、りんごを特別な存在にしてきた。手のひらにすっぽりおさまる心地よい大きさと、赤くかわいらしい姿。それは人々にさまざまなインスピレーションを与えずにはおかないみたいだ。ニュートンが万有引力の法則を発見した場面も、ビートルズが設立したレコードレーベルも、りんごが重要なモチーフになっているのはそのせいだろうか。
何を隠そう、わたしにも日々をちょっと楽しくしてくれる魔法のりんごがある。それは、滋賀の信楽にて職人さんたちの手仕事でつくられている陶器のうつわ。「りんご鉢」の愛称のとおり、コロンとした丸い形に、人の手でキュッと粘土をひねったような細工が加えてあり、上から見るとりんごそっくり。これがシンプルながら盛り映えのよさバツグンなのだ。
メインディッシュの脇に添えるちょっとした副菜や、お酒のアテ、そしてデザートなんかもよく似合う用途の広さ。このうつわが食器棚に並んでいる姿を見るだけで、献立を考えるのがちょっと楽しくなるのだ。それに何より、これにおかずを盛るようになってから、家族の食いつきが良い気がする。なんてことない地味なおひたしやきんぴらなんかでも、うつわマジックでちょっとしゃれて見えて、食欲をそそる気配を放ってくれるからだと思う。
来る日も来る日も、なにかをつくって食べる、という繰り返しで成り立っているわたしたちの暮らし。腕まくりな気分でごちそうをつくる日や、奮起して新しいレシピに挑戦する日もある一方で、忙しい日や疲れた日には、簡単手抜き料理で済ませることもある。それでも、日々食べるものがからだをつくっていると思うからこそ、できるだけ栄養や彩りのバランスを考えて、日々食卓をととのえる。これは、家族に向けたわたしなりの「いつも大切に思っているよ」のサイン。照れくさくて言葉じゃなかなか言えない思いを、今日もりんごの器に乗せて届けよう。大切な家族、そう、わたしの「瞳のりんご」たちに。