2~3年前、ほんのおままごとレベルではあったけれど、市民農園の一角を借りて野菜や果物を育てていたことがある。吹けば飛ぶようなゴマ粒みたいな種や、手のひらに乗るほどの小さな苗が、日に日に育って、ずっしりした重みのある野菜になったり、鈴なりの果実になったりするさまには、思わず目を見張る思いだった。
化学肥料や農薬を使わない方針の農園だったから、種や苗を植えつけたら、油かすとか鶏糞とかの有機肥料を少し与えて、あとは植物自身の力と、太陽と雨と土の恵みを信じて、時を待つ。虫に食われて散々な目に遭うこともあるけれど、うまくいけば、やがて収穫のタイミングがやってくる。ここにも!あ、あそこにも!と、たわわに実った野菜や果実をもぎ取っていく作業は、このうえなく楽しく、うれしい。そしてもぎたてを味わえば、このうえなく美味しい。
思えば、私がしたことなんて、ただ種や苗を土に植えつけただけ。私がつくった、とか、育てた、という感覚はもはやなく、ただただ土が与えてくれるものを受け取っているありがたさ。そこで私は腑に落ちたのだ。「ああ、私たちは、土を食べて生きているんだな」と。奇しくも、そうやって土いじりに夢中になっていた頃に、偶然ある土壌学者の本を手にした。そこにはhuman(人間)の由来はhumus(腐植、つまり土のこと)なのだと書かれてあって、思わず膝を打ちたい気持ちになった。
そんな気づきを得て以来、土の健康のことが以前より気になり始めた。100%オーガニックじゃなきゃ!と息巻くつもりはないけれど、手の届く範囲で、有機農法とか減農薬で栽培されたものを選びたい。農薬や化学肥料を使わず野菜や果実を育てる大変さを自分で体験して知ったからこそ、そのような苦労の多い仕事に取り組む農家さんたちに、応援の一票を投じたい気持ちもある。
すこやかな土壌と、清らかな水と、働く人の汗と。それらによって生み出された作物は、私にとって、ぜひ仲良くしたい「育ちがいい」食べものたちなのだ。
そんなことを思っていた矢先、友人への出産祝いを探しに出かけたベビー用品売り場で、輸入もののユニークなスムージーやスナックを見つけた。ドイツやスペインからやってきたそれらは、カラフルでポップなパッケージに包まれ、ちょっと日本にはないテイスト。どちらも砂糖や添加物を一切使わず、厳選された有機フルーツだけを使用しているという。子ども向けとはいえ、大人も食べたくなっちゃうグルメなおやつだ。
思わず2つ3つと買って帰り、味わってみた。混ぜもののないピュアな果実味が心地よくて、小さな子どもを持つあの人やこの人の顔が浮かんできた。教えてあげたいな、こんな「育ちのいい味」がするおやつのこと。そして、われらが日本でも、こんな美味を授けてくれるすこやかな土壌を、次世代にちゃんと手渡していかなくちゃね。土を食べて生きている(あくまで間接的に、だけれど)仲間として、改めてそんなことを思うのだ。