少し前のことになるけれど、娘がフランスの地方都市に留学することになり、私も渡航に付き添うことになった。現地で、寮生活に必要なあれこれを揃える中で、包丁も買わなくちゃね、とキッチン用品店に立ち寄った時のことだ。ショーケースにいくつか包丁が並んでいる中に、「SANTOKU」と書かれた包丁があった。
海外のプロの料理人のあいだで、日本の包丁が人気だという話は耳にしたことがあったけれど(ニューヨークではなんと約7割のシェフが日本の包丁を愛用しているとか!)、決してプロ向けではない一般向けの店で、日本の家庭用万能包丁「三徳」のワードを目にするとは……。「あなたのお国のやつですよね、じゃあお詳しいでしょう」なんて、店のオーナーらしきムッシュに言われて、なんだか鼻が高い気分になったのを覚えている。
日本では、包丁もおいしさを構成する大切な要素のひとつで、「食材を生かすも殺すも包丁次第」とよく言われる。プロの料理人が切ったお刺身は、ピシッとエッジの立った姿が美しいだけでなく、口に含んだ時の食感も味わいも格別。繊維をつぶさないからうまみや鮮度が逃げないのだそうだ。
とはいえ、私自身はこれまで包丁に大した投資はしておらず、なんとなく「そこそこ」のもので日々を過ごしてきたクチだ。けれど私もいい歳になった今、残りの人生にあと何万回食事のチャンスが残されているかと考えると、そろそろいい包丁にステップアップしてもいいんじゃないかと思うようになった。
さぁて、何を選べばいいのだろう。料理上手な友人に相談してみたところ、返ってきたのは「そりゃダマスカス包丁でしょ!」との返事。ダマスカス包丁ってなあに?と聞くと、柔らかいステンレスと硬いステンレス、硬度の異なる金属を30以上の層に重ねて鍛造したものだそうだ。切れ味のよさはもちろんのこと、耐久性にもすぐれており、その刃に浮かび上がるカスミのような紋様も美しくて、愛着が増すのだという。そんなわけで彼は目下、包丁愛が高じて、包丁研ぎの技も研究中らしい。
さらに彼はこんなことも言っていた。
「不思議やねんけど、これを使ってると、こっちの背筋も伸びるっていうか、所作も丁寧になる気がするねん。包丁に失礼のないように、きれいに料理しようっていう気になるから、片付けながら料理するクセがついて、台所が散らからんようになったなぁ」
なんとなんと、いい包丁には、そんなふうに暮らしを整えてくれる効果まであるのか。
眼をつむれば、胸のすくような包丁さばきと、キビキビと無駄のない身のこなしで立ち働く私の姿(ただし妄想の)が浮かぶ。その境地に、いつ到達できるかはわからないけれど、とにかく善は急げ。私もこの「切れもの」のダマスカス包丁を、新たな相棒に迎えようじゃないか。