先日、同世代の女性の知人と、久しぶりにランチをともにしながらおしゃべりしていた時のことだ。「私ね、歳をとったら食器棚の中身を全部手放して、四つ椀ひとつで暮らしたいなって思ってるの」と彼女は言った。四つ椀ってなあに?と尋ねる私に彼女は教えてくれた。
四つ椀とは、昔から茶懐石の道具として使われてきた漆塗りの器。飯椀と汁椀という大小の蓋もの二組(元々は4種の椀のセットだったらしいけれど)からなっていて、蓋はお皿としても使えるようになっている。つまり一汁二菜がこれでまかなえるというわけ。そして片付けるときは、大きい方の椀の中にすべて重ねて入れ子式に収めることができ、スペースを取らない。簡素さを尊ぶ日本らしいデザインだ。その静かな機能美だけを手元に残したいというところに、彼女のきっぱりした潔さを感じる。
「出ず入らず(でずいらず)」といえば、過不足がなくちょうどいいことを表す言葉だけれど、四つ椀もまさにそういう存在だと思う。主張しすぎて出しゃばるでもなく、引っ込みすぎて物足りなさを感じさせるでもない。きちんとした品格を持って使う人に寄り添ってくれるもの。口数は少ないけれど誠実で頼りになる人、のような感じかしら。主役はあくまで使う側の人間なのだ、というスタンスが心地いい。
そんなことを考えながら百貨店のうつわ売り場を歩いていたら、目に留まったものがあった。シックなモノトーンの重箱のような器。蓋は平皿としても使えるところなど、四つ椀に通じるものがある。六角形のフォルムは、和にも洋にもスイーツにも似合いそうだ。聞けば、樹脂とガラス繊維でできているそうで、たとえ1000回落としても割れないうえに、電子レンジや食洗機の使用もOK。加賀百万石の時代から豊かなものづくりの伝統を受け継ぐ石川県にて、熟練職人の技術を活かしてつくられたものだという。
こりゃ現代の「出ず入らず」の美学だなあと、思わず私は唸った。シンプルだけど行き届いている。ちなみに、この場合の「入らず」には、「戸棚にしまい込まれるヒマがないぐらい、毎日フル稼働である」という私なりの解釈も加わっている。重箱のように料理を盛り付けて楽しんだあとは、残った料理にそのまま蓋をして冷蔵庫に保存することもできる。そして翌日にレンジで温め直しもOK。台所と食卓を行ったり来たり、まさに片時も休まず活躍してくれそうだ。
こんな器をわが家に迎え入れたら、人を招きたい欲求がムクムクと高まってきた。端正な佇まいが「さあ、あなたなら私をどう使う?」と問いかけてくるようで、作りたいメニューや盛り付けのアイデアが次々と脳内に浮かんでは消える。いい道具というのは、こんなふうに人の発想を豊かに広げてくれるものでもあるのだ。「出ず入らず」の頼れる相棒を味方につけて、今年の冬は楽しくなりそうだ。