昼と夜が入れ替わる時に訪れる「マジックアワー(魔法の時)」という薄明のひとときがある。これは日の出前や日没後の数十分だけに見られる現象。うす暗く蒼い空の下、地平線近くだけが太陽の残光に照らされてあかね色に染まる。夕暮れどき、そんな風景に出くわしたら、目の前の雑事も忘れて、ぼんやり空を眺めずにはいられない。昼間の騒がしさが、波を引くように静まっていくような気がして、思わずほうっとため息をつく。
「マジックアワー」という言葉は、もとはといえば写真や映画の専門用語として使われていたものらしい。ものが影を生じず、幻想的で美しい風景が撮れることから、この時間をカメラに収めたいと願う人間が、昔から後を絶たなかったのだろう。単なる「夕焼け」という言葉では言い表せない、憧れのような気持ちが、その表現にはある気がする。世界の秘密を覗き見るようなときめき、とでも言えばいいかしら。この時間帯を表現するのに、昔の日本人は「逢魔時(おうまがとき)」つまり「魔物に遭遇する時」だなんて言ったけれど、そんなおっかないものではなくたって、夕暮れどきには小さな魔法がそこかしこに潜んでいる。
そういえば、子どもの頃に読んだ「アルプスの少女ハイジ」に、こんな場面があった。生まれて初めて山で夕焼けを見たハイジが、「山が真っ赤に燃えているわ!」と興奮して叫び、山小屋に帰ってからおじいさんに「どうして山があんなふうになるの?」と聞く。するとおじいさんは、「それは太陽が山にさようならを言うためだよ。また次の日に顔を合わせる時に、自分のことを忘れてもらっちゃ困るから、お別れの時に一番きれいな姿を見せておくんだ」と答えるのだ。
アルプスの大自然ならぬ都会の片隅でドタバタ暮らしている私も、夕暮れのあかね空を見ると、そんなおじいさんのセリフをふと思い出したりする。忙しくてクタクタになる日も、悩んで頭を抱える日もあるけれど、夕暮れどきにはリセット、リセット。ひとりでも顔を上げて空を見上げて、その日いちばんの笑顔をつくろう。ともすれば足早に流れて過ぎ去ってしまう時の流れに、ちょっと句読点を打つのだ。
私はとっておきのグラスをいそいそと出す。暮れゆく空を思わせる蒼に、とろりとした琥珀色を塗り重ねたような手づくりのグラス。本物のマジックアワーには、毎日は出会えないし、うっかり見逃してしまうことだってある。でもこのグラスのおかげで、私は部屋にいながらにしてその不思議に思いを馳せることができるのだ。中に注ぐのは、ライムを浮かべた炭酸水だったり、梅酒ソーダだったり、ハイボールだったり、いろいろ。ちょっぴり現実から離れて、ずいぶん昔にバックパック背負って旅した国の景色を思い出したりするのは、こんな時だ。物思いにふけるうち、飲みものにシュワシュワと立ちのぼる泡が、小さな憂いも運び去ってくれるような、そんな気がする。
時間にすればほんの少し、15分か20分のこと。でもそれは、時の手ざわりを変えてくれる小さな魔法。私だけのマジックアワー。しばらくすると、私はグラス片手にキッチンに立って、夕食の支度に取りかかる。鼻歌まじりでにっこり笑って。それが週末ならば、何かお酒をもう一杯。そう、テーブルの上のマジックアワーは、延長可能なのだから(ただし飲み過ぎには要注意だけれど!)。