言葉を書くことをなりわいとする身といたしましては。やはり言葉の選び方には気を使うのです。漢字、ひらがな、カタカナ、それにローマ字まで使えるのが日本語の面白いところ。そして、どう表記するかで、ずいぶんと言葉のやりとりのニュアンスが変わるから面白い。こんな表記上の特長を持つ言語は日本語だけじゃないかしら。そこをちゃんと知ったうえで、もっと意識的に言葉を操つることができたら、書くことがどんどんおもしろくなるのではないだろうか。
たとえば、相手の言っていることが理解できないという場面で、「なに?それ」と書くのと、「ナニ?ソレ」では、不可解のニュアンスがかなり違う。さらに「何?それ」や「What それ?」になると、その場のやりとりのニュアンスもずいぶんと変わる。
あるコピーライターが「新鮮という言葉は、鮮という字の中に魚という字があるから、においを感じてしまう」というようなことを書いていた。なるほどなあ。と、感心した。ワタシはそこまで過敏ではなないが、言葉を選ぶときはそこまで神経を研ぎ澄ませということだ。そういう姿勢を忘れないよう、こころの中でいつもこの言葉を思い返している。
「香り」と「匂い」ではどうだろう。「ニオイ」や「におい」ならともかく、「匂い」は匂い袋というものもあるし、漢字の「匂い」という字を見ると、なにやらほのかな良い香りをかいだような気がする。とは言え、ひとそれぞれ感じ方は違うので、言葉の選び方には常に気をつけたい。でも難しいぶん、楽しいのだ。「匂ひ」もしくは「にほひ」と綴ってみたら、古語でもあるせいか、慎ましやかで、上品に聞こえる。それは、本来、「にほひ」という言葉が臭覚を意味するのではなく、美しさや色合いなど視覚的な意味を持つからだろう。言葉を思案するのは、奥が深くて楽しい。
「香り」は良い香りや好ましい香りを指す言葉だ。「匂い」も香りと同様だ。良い匂いのする花。甘い匂いのお酒など、匂いは良い香りを表現する言葉。匂いで思い起こすのは「東風(こち)吹かば」という菅原道真が詠んだ和歌だ。「東風吹かば」に続くのは「匂ひおこせよ 梅の花」。梅の花の匂いなんだから、良い匂いに決まっている。「香り」という字文字を見るだけで、ひとは良い気分を感じるように思う。「匂い」という文字も同様だ。なんだか、アタマの中に浮かぶイメージも美しい風景になる。「香り」はまた、「薫り」や「馨り」とも書く。それぞれ意味が異なる。「香り」は鼻で感じる良いにおいのこと。「薫り」はどことなく漂っているよいにおいのこと。「馨り」は遠くまで届くような、澄んだよいにおいのこと。こんなふうに微妙にちがっていたりする。だから、使い分けが難しくて面白いのだ。いちばんカンタンなのは、すべて「かおり」と書いちゃえば良いんだけどね。
「かおり」談義はこのへんにして、サシエというものをご存じだろうか。ひと言でいえば香り付きの紙の袋だ。香料を染み込ませたバーミキュライト(園芸などで使用される土)を詰めた香り袋。クローゼットやタンスの中に服と一緒にいれておくと着る段になって服から良い匂いが漂う。ポーチやバッグに入れて持ち運ぶことができるし、クルマの中に吊るして使うひとも多いとか。ひとは匂いで思い出を記憶すると言われる。あなたが着ていた服からほのかに香っていた匂いで、一緒に行った場所を覚えていてくれるひともいるかもよ。
ちなみにワタシはオーデコロンが好きで、愛用している。朝、出かけるときに首筋や耳の裏にシュッシュッとしておくと、良い香りに包まれて、さあ、今日も元気に楽しく行こうぜ!という気分にしてくれる。香りはワタシにとって、朝の気分切り替えスイッチだ。
皆さん、香りのチカラに、もっと頼っても良いのでは。