華やかで洗練された暮らしのフロア 本館4階 Time of Grace

2024.11.19

おーい、出番ですよー。

季節が来ないと出番のないものに、どんなものがあるだろう。たいがいの家具や道具なんてものは、一年中出しっ放しであることが多い。強いて言えば、それはコタツ、扇風機、お節のお重箱、クリスマスツリーなど、季節ものと呼ばれる類くらいではないだろうか。でも、通年使うものであっても、一年中同じ顔を見ているんじゃなくて、いまだからそばに居てほしいというものがあってもいいと思うのです。“いまだから”一緒にという、ちょっと切ない気分が良いのです。
たとえば、ライトなんていうものは天井吊りであろうが、スタンドであろうが、基本は一年中出しっぱなし。そこにあるものだ。それだけに余計に、季節が来ると出したくなるようなライトがあってもいいと思うのです。そんなのがあると、ロマンチックに暮らせるだろうと思うのです。そんなライトとなると、きっと、ステンドグラスの照明器具じゃないかしら。なぜ、そんなことを思ったかというと、ステンドグラスに関しては、じつは積年の宿題がある。わが家は玄関をから奥へと10メートルほどの廊下が続く。余談ですが、廊下の両横の壁には大好きなアーチスト李禹煥の作品が何点か飾ってある。そのお気に入りのアートを眺めながら歩いたその先の壁に、明かりとりの窓が開けてある。家を設計してくれた建築家は「じつは、この窓をステンドグラスにしたかったんですよ。いつか、良いステンドグラスを見つけて、ぜひここに組み込んでくださいね」と、おっしゃっていた。以来、何年経つだろう。じぶんでは“ステンドグラスの宿題”と呼んでいる。出来の悪い生徒はまだ、宿題に手をつけることができないままだ。アンチークショップや蚤の市で、古びた木枠に入ったステンドグラスを見つけて心が動いたこともある。でも、わが家に連れて帰ることはなかった。だから、「いつか」は「いつまでも」果たせないままだ。

なぜ、建築家はこの場所にステンドグラスが欲しかったんだろう?あるとき、ステンドグラスの由来や意味などを調べてみた。『キリスト教では“神は光である”と教えられている。まさに、ステンドグラスから差し込む光は神そのものと感じられる。降り注ぐ光に神は宿るとひとは感じるのかもしれない。そんなところから、12世紀以降のゴシック教会の窓を飾るようになった。これが、教会美術のはじまりである。以来、聖書のストーリーをわかりやすく描き、ひとびとに伝導するために使われてきた』とある。
なるほど。あの場所にステンドグラスの窓があったとする。差し込む神々しい光。夕刻、灯りをまだ点けていない自宅に帰宅する。鍵を差し込みドアを開ける。廊下の先に神々しい光が差していたら、それは素敵な風景だろうなあ。とはいえ、わが家は教会ではない。ステンドグラスの意味を知ってしまうと、そこにそういう意味を持つものがあると、ちょっと重いなあ。と、思う気持ちも出てきた。宿題は宿題のままで、いいのかな。宿題に手をつけない出来の悪い生徒のままでいようと思った。

さて、ときは過ぎ、ステンドグラスのライトがあることを知った。テーブルライトなら好きなときに出したり、仕舞ったりできるじゃないか。日々そこにあるステンドグラスの窓は諦めて、テーブルライトにしよう。このライトが似合う季節。それは、言うまでもなくクリスマスだ。ほかの時期は仕舞っておいて、クリスマスが近づいたら、思い出す。「あっ、あのライトを出してあげなきゃ」1年に1度だけ会う関係。それでも、1年に1日だけの織姫さんと彦星さんと比べるとずいぶん長い逢瀬が楽しめる。そんなわけで、季節はそろそろ、ステンドグラスのライトの出番。
「おーい、出番ですよー」と、声をかけながら、箱から取り出すことになる。まさか、ライトが「はーい」と、こたえるわけはないだろうが。

ウェーブGグラス工房
福岡県那珂川市にあるステンドグラス工房。南畑という自然豊かな里山地区で創作活動を送る、ステンドグラス作家後藤ゆみこさんの作品を中心にランプから、窓パネル、クラフトまで幅広いジャンルで展開している。すべてが手づくりの一点ものである。
星を散りばめたランプ
40,700円(税込)
■売場
本館4階 ラ・ノクタンビュール
フロアマップ
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