着物を楽しんでいるひとが増えている(ように思う)。それも、自由に楽しむひとが。でも、自由って、なんだ。不自由って、なんだ。自由も不自由も、決めるのは、着るそのひと。まわりのひとじゃない。ファッションなんて、自由、気まま、好き勝手に楽しんじゃえばいいじゃないか。なんてことを言うと、常識知らずのひとだと思われたりするかな。ファッションってある意味、“決まり”を頑なに守るところに美学があるのも事実。そしてまた、いままでの常識やタブーを破る感覚もファッションだったりする。ほら、それまでタブーとされていた“黒”という色に、ファッションカラーとしての地位を与えたのも、常識やタブーを破る発想だもん。
あなたは、ルールや常識に頑な派?それとも、ルールや常識に捉われない派?「やっぱり、そうこなくっちゃ!」の頑な派もオシャレだし、「なるほど、そう来るか!」の捉われない派もオシャレだと思う。
例えば、かつて流行った「アイビーファッション」をご存じだろうか?あれなんかは、ルールに頑な派の典型だった。ジャケットは3つボタン、段がえり、センターフックベント(鍵型のセンターベント)、金ボタン。パンツはパイプドステムといって、上から下まで同じ太さのシルエット。そして裾は4.5cmのダブル、後ろにはバックストラップ(尾錠)付き。(こうでないと、ダメなのだ)堅苦しい決まりごとを守れば守るほど、“わかっている感”があって、それがオシャレさんの証だった。
でもね、ファッションって個性の表現じゃないですか。ひとといかに違うか。と、いうところに楽しみがあるのも否定できないはず。「ワタシはアナタと違います。」という言葉にこそ、ファッションの本質があるのではないでしょうか。なので、ルールを頑なに守りながら、いかに個性を表現するか。なんだか矛盾しているような気もするけど、オシャレ人間は常に、そのことにチャレンジしてきたのではないかしら。ルールの枠の中でいかに自由になるかというアソビこそ、ファッションの楽しみなのだ。ビシッとルールどおりに着こなすオシャレもあれば、「ほー、そんなこともありなのね」「えー、ずいぶん思い切った組み合わせだなあ」っていうのもアリ!おおアリなのだ。
さて、ここままでは洋装(お洋服)の話。では、和装(着物)はどうだろう。着物にも、もちろんルールはある。着物なんてルールの塊だ。着物ほど季節の決まりごとのある装いはないかもしれない。着ていく場によって、選ぶ着物も変わってくる。それらのルールに精通し、けっして隙を見せないことにこそ、着物を愛するものとしての美学があるように思う。でも、着物だって、ファッションだ。個性の表現=ファッションと定義するなら、ルールにがんじがらめのままで良いのかしら。もっと、着物から自由になろう。もっと、着物を自由に楽しもう。もっと、着物と遊ぼう。と、提唱するのが「大塚呉服店」という存在だ。着物を楽しんでいる姿を見ると、ほら、あなたも、後に続いてみたくなるでしょう。