味を再現する、できるというひとは、料理好きには意外と多いかもしれない。レストランや食堂で食べた味の記憶をたよりに、同じような味を家庭で再現できるというものだ。これについては、ある程度は想像できる。特殊な才能として、ひとの想像を超えるほどの驚きはない。かくいうじぶん自身も、そういうことは日ごろからなんとなくやっている。とくに技術があるとか、知識があるとか、味覚が優れているとかというようなことでもない。正式なレシピを勉強することや、調味料を正確に計量することが面倒だという,モノグサ太郎な性格によるところが大であろう。これはもう、単に「好きこそものの上手なれ」という範疇ではないかしら。
では、耳はどうだろう。ミュージシャンなんかだと、音楽を聞いて曲を再現できるひとは多いのではないかな。いわゆる「採譜」。聞いた音源から音を拾って譜面にする、「譜面起こし」ということだ。これも、ギターやピアノをやっているひとなら、意外にやれるのではないかしら。音楽をやっているひとって、基本、耳が良いからね。
以上のように、味覚、聴覚は比較的再現性があるように思う。では、鼻、臭覚はどうだろう。良い匂いがした、気持ちの悪い匂いだった、鼻が曲がるほど臭かったなど。匂いはアバウトな形容詞で記憶している。どんな匂いだったかを記憶していても、その匂いを再現するのは無理というものだ。再現したくても、再現の仕方がわからない。
さて、ここに、パオロ・ヴラニエスという男がいる。ボローニャ大学で化学と薬品学を学んだ薬剤師だ。そして、のちにフィレンツェでフレグランス製品の開発に取り組むことになる。彼は記憶の中の香りを再現できるという。幼い頃に嗅いだ香りで、さまざまなことを記憶しているともいう。幼少期から複雑な香りを嗅ぎ分ける繊細な嗅覚を持っていた。彼は臭覚を一瞬にして記憶にとどめ、表現することができる。記憶と結びつく香りとは?旅、恋、食事、家族、友人、大切な思い出を香りに表現する男とは?
彼と香りとの出会い。それは、その生い立ちを遡ってみると、彼の祖父に行き当たる。彼の祖父は旅先で買い求めたさまざまな香水瓶をコレクションしていた。その貴重なコレクションが並ぶ書斎で過ごすことを彼は好んだ。その時間が彼にとって、香りへの情熱を抱く原体験となった。そんな彼は、あるフレグランスメーカーの経営者であり調剤師である。そのブランドの名は「DR. VRANJES(ドットール・ヴラニエス)」。香りの都フィレンツエに創業し40年超。「記憶を巡る香りの旅」を追い求めている。
あなたは思い出を、なにで記憶していますか。ふつうは目にした光景であったり、耳にした音であったり、味わった食物だったりするのではないだろうか。もし、あなたにパオロのような鼻があったらどうだろう。あなたは、どんな匂いで思い出のひとコマを記憶するでしょうね。そんな素晴らしい彼の鼻をほしいと思ってもそれは無理。あなたにできることは、せいぜい、彼がつくり出す香りからお気に入りを見つけて、部屋をその香りで満たすこと。