この句は、かの有名な松尾芭蕉の作である。なぜ、唐突に芭蕉かというと、これまた唐突な話なのだが、じつはうちの庭には以前からバナナの木がある(と、思っていた)。だって、その木の葉っぱったら、バナナの葉っぱとソックリ。とってもよく似ているのだ。というか、本や映像などで見知っているバナナの葉そのものだ(と、思っていた)。そして、この木にはバナナのような実が生る。“ような”というのには理由がある。バナナのようなカタチはしているが、あんなサイズにはならないのだ。でも食べられるかなと、恐る恐る齧ってみたら、拍子抜け。ぜんぜん甘くないのだ。バナナ感ゼロ。しかも種がたくさんある。種の量は、半端ない。これはバナナじゃないな。と、調べてみると、どうやらバナナではなくて芭蕉(バショウ)という木だった。芭蕉もバナナも、バショウ科バショウ属に分類される大型多年草だ。木ではなく草??バナナは熱帯性のため日本では育たない。芭蕉は熱帯を中心に分布するが耐寒性があるので日本でも育つらしい。葉の裏を見て薄い緑色をしていれば芭蕉、白っぽい粉が拭いていればバナナなんだとか。ちなみに英名を「ジャパニーズ・バナナ」というらしい。こんど葉の裏をちゃんと調べて見なくちゃ!
話を戻すと、この木の名前から松尾芭蕉を連想したわけだが(前置きが長い!)、なぜ松尾芭蕉は芭蕉なのだろう??江戸時代のひとだから甚左衛門、孫七、九兵衛なんて名前なら時代劇にもよく出てきそうだけど、俳号とはいえ芭蕉はどう考えても聞こえ方が日本風じゃないよ(ねえ?)。そこでまたグーグル先生の出番。なぜ、芭蕉という俳号になったのかを調べてみた。
芭蕉という俳号の由来にはさまざまな説がある。芭蕉が江戸の深川にかまえた庵の号は、はじめ「草庵」と称されていた。ところが、そこに植えられた芭蕉の木が立派に生長してところの名物となった。そのうちに弟子たちがこの庵を「芭蕉庵」と呼ぶようになった。そこから師は遊びゴコロをこめてみずからを「芭蕉」と号するようになったらしい。「芭蕉」は戯号(戯れに使う号)であり、改まった場面などで使われることはなく公式な場で使う俳号は「桃青」だったとか。
この寺は庭一盃の芭蕉かな 芭蕉
ちなみに芭蕉の季語は初秋である。芭蕉の大きな葉は風雨に晒されてすぐに破けてしまう。秋の季語となったのは、破けてしまった姿が秋風とも相まってものの哀れを誘うせいではないかと言われている。ちなみに、葉がさけてしまった芭蕉を「破芭蕉(ヤレバショウ)」というらしい。
さて、さて。芭蕉をBASHOって書いてみたらどうだろう。なんだか、カッコいいよね。アーチストの名前みたいじゃないか。バンドの名前にしてもカッコいいじゃないか。じぶんもBASHOになりたい。密かに(こころの中だけでも良いので)そう名乗ってみたい。じぶんには俳句の才能もミュージシャンとしての才能もない。でも、わが家には芭蕉の木がある。ならば、BASHOと名乗ってもいいだろう。そしてじつは最近、こんなラグを見つけて部屋に置いているのだ。部屋の強いアクセントになるだけじゃなくて、かなりアートな部屋になる。ホントはこのラグのモチーフはバナナでなくて、バナナの一種なのだけど。“なんちゃってBASHO”だから、まあ、いいよね!
ひとつ、俳句でもひねってみるかな(こころの中で)。いつか、ひとさまに発表できるまでの腕前になればいいのだけれど。
この家は内にも外にも芭蕉かな BASHO(なんっちゃって)