ふだん着物を着ることが少ないひとには初耳で意外なことかもしれないけど。帯留ってじつは、正装(例えば黒留袖や訪問着など)やお茶席には付けないものとされているのだ。そのことにもつながる、面白い逸話がある。帯留というものは、その昔、遊女が客の刀の鍔を帯締めに通して付けたのがはじまりとか。その後、街着に飾りとして使われるようになって一般的になっていった。その逸話からもわかるように、本来は洒落(遊び心の表現)として使うものだった。つまり、オシャレはオシャレでも、“シャレ(洒落)”なのだ。オトナの遊び、小粋なオシャレというわけだ。
なーんだ。それなら、難しく考えなくても洒落で楽しんじゃえば良いじゃないか。洒落がわかる人間こそ、オトナ。そう思ったら、帯留の楽しみ方や付けていくシーンの広がりが想像できそうだ。まずは付けてはいけない場合があるという大原則を守ること。そう、正装すべきフォーマルな場所には付けて行かない。あとは、遊び心を最優先でいいのだ。着物って季節感を先取りしたりするものだから、帯留を上手く効かせてさりげなく季節を感じさせるのは密やかな楽しみでもあり、ちょっと高等なテクニックでもあるだろう。季節のものをモチーフにしたような帯留は意外に多い。秋の果物や野菜モチーフのものはあってもさすがにお料理をモチーフにしたようなものはないかもしれない。秋を感じさせるものは、フォルムに限らないで、素材や色で探せば、きっといろいろとあるはずだ。友だちと誘い合って秋の日本料理を楽しむ会なんてときこそ、着物の柄や色と帯留の素材や色、ましてやモチーフまで意識して演出しているのを、「あれ?ひょっとして?」と、気づいてもらったら、きっと嬉しいはず。相手が口に出さなくても表情から読み取るのも楽しい。これぞ、以心伝心というもの。これみよがしに、どうだ!と、ばかりに帯留を主張するのではなく、「じつは、ね。きょうの帯留はね」と、こころの中でほくそ笑んでいる感じが洒落なのよね。洒落がわかる友だちやパートナーなら、きっと感じてくれるはず。
秋の夜長。芝居を楽しもうなんてときに、さりげなく芝居の演目を意識して帯留を選んでみるというのも「じつは、ね」な楽しみ。
着物って、そんな「じつは、ね」な楽しみが多い。例えば羽織の裏地に凝ってみるのも、そんな心意気のあらわれ。洒落である。見せないところにこだわるのは「じつは、ね」な洒落が効いた大人の遊びというものだ。下駄の鼻緒に凝ってみる(前ツボの部分に色をピリッと効かせてみるとか)というのも、同じような洒落ごころ。かなり通なアソビである。ツーと言えば、カーッとこころから楽しくなっちゃうね。(これは洒落じゃなくて駄洒落ですね。笑)
さて、さて。あなたなら、どんな「じつは、ね」をたくらみますか。着物を難しく考えないで、もっと気軽に楽しんでしまうためにも帯留をうまく使ってアソビを表現してみてはどうかしら。小さいところに凝ってみると、さりげなく全体の雰囲気のなかでキュッと効かせることができるもの。それこそ、オシャレ着というものだと思うのであります。
帯留って、粋ですねー。(じつは、ね!)